「ひなまつり」とはどんなお祭り?
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小さいころ私の近所では、ひな祭りが近づくと、いろんなお友達の家で「ひな祭りパーティ」の開催がありました。近所に子供がたくさんいて、みんなとても仲が良かったように記憶しています。
「ひな祭りパーティ」でどんなことをするのかというと、お友達のおうちに友達が何人か招待され、その家のひな人形を見ながら、お友達のお母さんが振舞ってくれるお料理を食べたり、おしゃべりしたり、ゲームをしたり、時には友達同士でたてぶえや鍵盤ハーモニカのセッションを披露したりと、とにかく楽しい時間を過ごしました。
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ひなまつりとは一般に、「桃の節句」や「上巳の節句」と言われ、女の子の健やかな成長を願って行われる行事といいますが、そもそも本来はどんなことをするお祭りなのでしょう。
中国から伝わったお祭り
ひなまつりは、古代の中国で行われていた「上巳節(じょうしせつ)」が、遣唐使によって日本へ伝えられたのが始まりと言われています。
「上巳節」とは、3月上旬の巳の日という意味です。昔から季節の変わり目には、災いをもたらす邪気が入り込みやすいと考えられていて、この上巳節に水辺でけがれを祓うという習慣があったそうです。
遣唐使によって日本に伝えられた最初は、神道の「禊(みそぎ)」の神事と結びつきました。そのため主に天皇のためにお祓いをする行事でしたが、平安時代になると、宮中行事となったことがきっかけで、「上巳の祓い」として、「曲水の宴(きょくすいのうたげ)」を催したり、「流しびな」「人形流し」の原型となるような催しを実施するようになりました。
「曲水の宴」とは、水の流れがある庭園などで上流から流れてくる盃が、自分の前を通り過ぎるまでに和歌を詠んだり、お酒をいただくといった雅な催しです。
また「流しびな」「人形流し」は、草やわら・紙などでつくった人形(ひとがた)で自分の体をなでて、けがれを人形に移し、川や海に流すといった身代わり信仰の行事です。
このように、昔の日本で行われていたのは、女の子だけに限らず、老若男女を問わず、人々の幸せを願って行われる行事だったそうです。
武家社会に変わってからの変化
それから長い月日が過ぎ、時代は武士が治める時代となりました。江戸幕府によって「上巳の節句」が「五節句」の一つに定められました。
「五節句」とは、
1月7日(人日:じんじつ)…七草がゆを食べる日。1年の豊作と無病息災を願う日。
3月3日(上巳:じょうし)…桃の節句・上巳の節句。
5月5日(端午:たんご)…菖蒲の節句。
7月7日(七夕:たなばた)…笹の節句。短冊に願いを込め、笹に飾ると願いが叶う。
9月9日(重陽:ちょうよう)…菊の節句。宮中や寺院で菊の鑑賞をする行事が行われる。
これにより5月5日が男の子の節句、3月3日は女の子の節句となり定着していったと言われています。
ちなみに「上巳の節句」は「桃の節句」とも言います。これは桃の花の開花期に重なることと、桃の木が古くから邪気を祓う神聖な木と考えられていたからだそうです。古くは邪馬台国の卑弥呼も、占いに桃を使っていたようで、当時の遺跡からは、大量の桃の種が出土するそうです。
また桃太郎が邪気の象徴である「鬼」を退治するという昔ばなしは、この考えからきているようですよ。
人形作りの技術が発展
さらに時代が進むと、職人さんの人形を作る技術も発展していきます。技術の発展と共に高級な人形が作られるようになり、やがて人形は流すものではなく、飾るものへと変化していきました。後に現在まで続く、内裏びなをひな壇に飾る「ひな人形」が流行したのは、このためです。
このような歴史を経て、現在ではひなまつりには、ひな人形を飾り、皆で女の子の健やかな成長と幸せを願ってお祝いをするというスタイルが確立していきました。
我が家にも娘がいます。今年もまた3月3日には、春を皆で元気に迎えられることを喜び、これからもずっと元気で幸せに過ごせるように、お祝いをしようと思います。
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