お伊勢参りの旅【その1】伊勢神宮にはどんな神様が祀られているの?
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家族旅行へ鳥羽・伊勢へ行ってきました!
今年の夏休みは、主人の会社の福利厚生を利用させてもらい、私たち家族4人とお義母さんの計5人で鳥羽・伊勢の旅へ行ってきました。
そこで今回からの数回は、鳥羽・伊勢へ旅行に行かれる方のための情報にもなるよう、家族旅行の詳細を記事にまとめていきたいと思っています。
第1回~3回は「伊勢神宮」編
伊勢神宮は内宮と外宮の二つの大きな宮が中心になります。まず外宮を参拝してから、内宮を参拝するのがマナーです。
ですがその前に、実際伊勢神宮でお参りするのは、どんな神様なの?というところから、きちんと事前準備して行くほうが、断然お伊勢参りが充実しますよ。
実は私たちは、お伊勢参りは今回で2回目。娘に至っては修学旅行を合わせて3回目。でもお義母さんが初めてだったので、もう一度お伊勢参りをすることになりました。
前回は何となく参拝してしまったため、正直ちょっとしんどかった印象しかありませんでした(結構広いので歩きますよ)。しかし今回は、参拝のルートや自分たちがどんな神様を参拝するのかなど、きちんと勉強してから行ったので、子供もみんな楽しかったね♪と非常に良い旅になりました!
第4回は「猿田彦神社」編、第5回は「エクシブ鳥羽別邸」編、第6回目は「イルカ島」編、第7回目は番外編としてお伝えしきれなかった内容をまとめたいと思います。新名神高速道路の話題スポット「宝塚北SA」もご紹介しますのでお楽しみに!
お伊勢参りの旅【その1】~伊勢神宮とは?
伊勢神宮はその昔から「お伊勢さん」と呼ばれ、「一生に一度でも」と日本人の誰もが訪れた旅の原点です。そもそも旅行なんて、昔は貴族や一部のお金持ちのものでした。
ですがお伊勢参りがあまりにも素晴らしく、その評判がやがて庶民にも広がり、江戸時代には「おかげまいり」と呼ばれる大ブームになります。
一般にお伊勢さんと呼ばれている伊勢神宮ですが、正式名称は「神宮(じんぐう)」とシンプル。
神宮とは、内宮と外宮の二つの大きな宮を中心に、伊勢市と周辺地域にわたり別宮14社、摂社43社、末社24社、所管社42社とそれぞれの神様を祀ってある全125社の総称になります。
今回の私たちの旅では、その全てをお参りすることは出来なかったので、一般的なルートとしまして、外宮⇒内宮の二つの宮を参拝しました。
伊勢神宮でお参りする神様は?
伊勢神宮でお参りする一番の神様は、内宮にお祀りされている「天照大神(あまてらすおおみかみ)」と言われる女神様です。天照大神は「古事記」や「日本書紀」などそれぞれ名前の記載は色々で、「天照大御神」「天照大神」「天照皇大神」などがあります。
天照大神は八百万(やおよろず)の神々の中心にあられる日本人の総氏神様と言われています。また皇室の祖先にあたる神様であり、現在でも神宮の主要な祭事には天皇陛下が深くかかわられています。祭事はなんと年間1500以上もあるそうです。
神宮の外宮には、天照大神がお食事係りとして、丹波の国は天橋立近くの籠神社から呼び寄せられた衣食住をはじめあらゆる産業の守り神である「豊受大神(とようけのおおみかみ)」をお祀りしています。
古事記の中では豊宇気毘売神(とようけひめのかみ)という名で登場する女神様です。
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天照大神とは?
天照大神のお父さんとお母さんは、日本神話の中で日本の国土をつくったと言われる「イザナギ」と「イザナミ」です。
イザナギとイザナミは天の神々の命を受けて、海に淡路島、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、本州の八つの島々を作り出しました。
国造りが終わると、風・木・山・海・川・岩・石など多くの神様を産みます。ところが火の神を産んだ時、イザナミは大火傷がもとで亡くなってしまいます。怒ったイザナギは、火の神の首を切り落としてしまいます。この火の神の血や肉体からも多くの火や熱にまつわる神が生みだされたと言います。
亡き妻イザナミに逢いたい一心で、イザナギは黄泉の国までイザナミを追いかけていきますが、イザナミはすでに黄泉の国の食べ物を口にしてしまい、もう戻ることが叶いません。一説には腐敗した肉体を見られたことにイザナミが怒り追いかけてきたので、仕方なくイザナギは黄泉の国にイザナミを封印して下界へ戻ります。
下界で黄泉の国の穢れを落とすために、イザナギが禊(みそぎ=水で体を清める)をした際に目や鼻を流れるしずくより生まれたのが天照大神・ツクヨミノミコト・スサノオの三人の神様でした。
天照大神は太陽神で高天原を支配することとなりました。
弟のスサノオは乱暴者で、天照大神のもとで暮らしていた時にもたくさんの迷惑をかけました。そのため天照大神が怒ってしまい、天岩戸に身をかくしてしまい、世界から太陽
が無くなってしまうというお話はあまりにも有名です。
太陽の光が消えてしまうと、皆が困ってしまいます。神々は相談して策を講じ、天照大神が閉じこもっている天岩戸の前で宴会を行い、自分がいないのに皆が楽しそうにしている様子が気になり、天岩戸を少し開いて様子を見ようとしたところを、天岩戸をこじあけ、天照大神を中より引っ張り出しました。
これにより世に太陽の輝きがもどりました。
豊受大神とは?
豊受大神は、穀物の神様です。その昔丹波の泉でイザナギの孫である三人の天女が水浴びをしていました。それを老夫婦が見ていて、ひとりの天女の羽衣を隠してしまいます。そのため天に戻れなくなってしまったのが、豊受大神です。
やがて豊受大神は老夫婦の養女となります。豊受大神は酒造りが上手でした。そのおかげで老夫婦は食べるに困らないお金持ちになりました。
天照大神が一人では安らかに食事が出来ないので、豊受大神を呼ぶように言ったと伝わるところからも、豊受大神は人が生きていくために絶対必要な衣・食・住をはじめ、あらゆる産業を支える大切な神様であることがうかがえます。
伊勢神宮はなぜこの地にできたのか?
第11代垂仁天皇(すいにんてんのう)の第4皇女である倭姫命(やまとひめのみこと)が、天照大神の終の住処を探して諸国を巡行していた時、この伊勢の地において、天照大神のお告げがありました。
このお告げにしたがい、五十鈴川畔に内宮を築きました。これが伊勢神宮の始まりです。天照大神自身が望んでこの地にやって来たということなんですね。
式年遷宮とは?
神宮では20年ごとに神様のお住まいを新調し、お引越しをしていただいています。これを式年遷宮(しきねんせんぐう)といい、神宮最大の祭事です。なんと1300年前から続いていると言います。
式年遷宮を20年ごとに行うのは、神様の神威を更新していただくとともに、社殿造営や工芸技術・その精神を次に世代に伝えるための仕組みなんだそうです。
また遷宮は正宮と言われる、天照大神や豊受大神のお住まいだけでなく、14の別宮でも順次行われています。遷宮では社殿の新調だけではなく、御装束(525種1085点)や神宝(189種・491点)など全てのものが一新されます。(※2013年式年遷宮資料より)
唯一神明造とは?
神宮の社殿の造りは神宮だけの様式で、「唯一神明造」と言われます。現存する神社建築の中で出雲の「大社造」と並んで最古の様式であると言われています。さらに内宮と外宮とでも、細部の仕様が違っています。
ちなみに遷宮の時に取り払われる旧社殿の古材は、再利用されて長く大切に使われるそうです。
お伊勢参りは履きなれた靴で!
神宮はとても敷地が広く、車で行った場合駐車場からの道のりや内宮へ続くおはらい町・おかげ横丁散策を合わせると、かなりの距離を歩くことになるでしょう。
神宮の中は御神木が多くあり、日陰はたくさんあります。ですがとにかく歩くことは間違いないので、たとえ帽子を忘れても、履きなれた靴でお参りするようにしましょう。
夏場は飲み物も持っている方が良いですね。
服装は周りの人を見たところ、いろいろな服装の方がいましたが、あまり肌を露出した格好はふさわしくないように思います。神様を参拝するという気持ちを忘れず、動きやすいけれど自分なりに少しおしゃれしてお参りすると良いのではないでしょうか。
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