うちのお父さん的なアルツハイマー型認知症 その1
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この記事を書いた理由
この記事は、アルツハイマー型認知症という病気にはいろんな症状があることを踏まえた上で、私たち家族が経験している「うちのお父さん的な」アルツハイマー型認知症の症状を紹介します。
本当は、あんまり紹介してうれしいというものでもなく、気持ちは複雑ではありますが、よく似た症状に悩んでいるご家族の方に参考にしていただいたり、うちの家の対処法や出来事を見ていただくことで、ちょっと肩の荷を下ろしていただいたりと、人それぞれの楽しみ方で、読んでいただければ幸いです。
お父さんは認知症
私の父はアルツハイマー型認知症です。現在要介護3。正確に言えば、診断されたのは64歳の時でしたので、若年性アルツハイマーでした。
お酒もたばこも大好きだったのですが、普段父のお世話をしている母の努力と父の忘却のおかげで、どちらもここ数年は断つことができています。ですが認知症の診断を受ける前は、どちらも毎日の楽しみで、それも関係しているのかと思いますが、糖尿病も患っています。
認知症リスクを高めるものの1つといわれているのが、この糖尿病。お酒とたばこと糖尿病、この3つが揃い組でしたので、必然といえば必然の結果と言ってもいいでしょう。
若年性アルツハイマー型認知症と診断されたきっかけ
アルツハイマー型認知症である父は、そもそもどうしてアルツハイマー型認知症であると分かったかと言えば、64歳よりまだ6~7年前に話がさかのぼります。
当時まだ定年前だった父は、電車で30分ほどの職場まで通っていました。そんなある日、電車内で体の異変を感じ、降りたホームで動けなくなったそうです。脳梗塞でした。しかし幸い、しばらく入院はしたものの、特に後遺症を抱えることもなく、その後も仕事を続けることができていました。
しかし定年を迎え、関係先で仕事をさらに数年続けたのですが、ある時父が自分から、「もう仕事辞めようかと思う。」と母に相談したそうです。今考えると、この頃には、父の中で不安に感じることや、違和感が大きく渦巻いていたのかも知れません。
こうして仕事も辞め、家での生活が始まりました。家でといっても、することもなくずっとテレビを観ているなんていうこともなく、近くに畑を借りていたので、その畑での作業や散歩、大好きな喫茶店へ行くなど、そこそこイイ感じで生活を送っていたのです。
しかしちょうど64歳に差し掛かる頃から、突然怒り出して怒鳴ったりするような時が増えてきました。怒りだすと、本当に目つきが別人のようになりました。そして物忘れしていることは、自分が忘れているとは思わず、母に全ての責任があるというように責めました。
私たちは、もしかすると脳梗塞の後遺症なのかもしれないと、病院へ連れて行くことに決めました。そこではじめて、若年性アルツハイマー型認知症と診断されるにいたりました。
病院へどうやって連れて行ったのか?
もともとプライドが高い父なので、自分が納得しないと病院なんて行ってくれません。そこで母は、定期的に糖尿病で通院している父の内科の主治医の先生に、母がまず一人で先生のもとを訪ね、事前に相談し、父の診察の際に先生から検査を勧めてもらえるように、お願いする作戦をとりました。
もとより外面(そとづら)の良い父は、先生の勧めることをとりあえずは受け入れ、文句を言いながらも、無事物忘れ外来の検査を受けてくれました。そうして発覚したのが、父が若年性アルツハイマー型認知症であるという事実でした。先生の演技力に感謝です。
先手必勝戦略開始!
父の認知症は初期の初期での発見だったため、もう10年ほど経ちますが、薬の効果によるものか進行はゆっくりで、現在でも一応(時々怪しいですが)服を着たり、トイレに行ったり、お風呂に入ったり、ご飯を食べたりといった日常のことは、母が指示すると自分でできます。
短時間なら一人でお留守番や、一人でお散歩に行くこともできます。
それはひとえに母の努力と、習慣の利用、そして先手必勝戦略によるものではないかと思っています。どういうことかといえば、母は普段から父に対し、「やってあげる」よりも「自分でさせる」方針で生活しています。
・薬の袋に書いてある記載を参考にして、毎日、朝昼晩とそれぞれ飲む薬がわかるように、自分で分けてケースに入れさせています。
・血糖値を測る、インシュリンの打つ方法も手引書を開きながら自分で進めさせます。忘れているところは、横から母が指示します。
・ご飯を食べたことを忘れてごねるので、食前に自分の字でノートに朝昼晩のメニューを記入させています。
・畑での作業や収穫してきた野菜の下処理なども指示して、手伝ってもらいます。
こういったことを、母は自分でやってしまうのではなく、時間はかかるのですが、一緒に付き合ってやってきました。習慣の利用としては、母は若いころから、あれこれと案外忙しく、父もよく「奥さん」じゃなくて「お外さん」なんて言っていて、特に教会へ出かけることが多かったため、今でも父は母が留守でも、教会へ出かけていると知ると、無条件に安心するというところがあります。
なので出かける時には、玄関に小さなホワイトボードを置いていて、父のためにそこに行先を記入するようにしているのですが、ほぼ「教会へ行っています。お昼には戻ります。」で安心します。
先手必勝の戦略というのは、父の顔写真を載せたチラシに住所や名前、連絡先を記入し、もしもご迷惑をかけることがあった時に、母に連絡をして欲しいと頼んで回りました。対象は父がよくいく喫茶店と、近所のスーパー、ホームセンターなどです。
恥とか世間体とか考えていては、介護する家族にとって良いことは一つもありません。なぜならチラシを配ろうとと思ったきっかけは、一時期まだ父がまだ買い物に一人で出かけられていた時、ガムを大量に買い込んでいることを発見したので、万引きを警戒しての行動でした。もし仮に父がお店の商品を、お金を払わずに持って帰ってしまっていたら、そして捕まったりしたら、きっと捕まえられた父はパニックになりますし、私たちもここで暮らしてはいけなくなるからです。
物を壊したりしてしまった場合や、店内でご迷惑をかけた場合に、警察沙汰になったりせずに穏便に解決するための一つの方法としても有効だと思います。
また徘徊が始まった時に困らないよう、GPSによる探索ができるように、携帯にGPS機能がついているものを持たせるようにしています。仕事をしている時も、ポケベルを身につけていた経験から、(電話をかけても出ない場合もありますが)比較的スムーズに身につけさせることに成功しました。今年に入り、初めて徘徊したことがあり、その時に本当に役に立ちました。
介護を知らない人は、家族が責任を持って、ずっと付き添うべきという人もいます。でも実際生活していくとなると、片時も離れずに介護なんて現実的ではありませんし、介護する側が倒れてしまいます。だからこそ、転ばぬ先の杖、父も私たち家族も、しっかり父の性格や行動パターンを踏まえての準備が必要になるのです。
(関連記事)うちのお父さん的なアルツハイマー型認知症 徘徊の巻
アルツハイマー型認知症による父的行動
まるっと忘れてしまうという表現が多い認知症ですが、父にも一般的に言われるアルツハイマー型認知症の傾向と、また特有の傾向があります。
・何度も同じことを言う。
父の場合、同じことを一字一句同じセリフで言います。関心事(鍵は閉めたのか?お風呂のスイッチは切ったのか?外食時に自分の食べている料理の金額を聞くなど)や、自分の親兄弟のこと、孫に年齢を聞く、自慢話のようなこと(生徒会長をしていたこと、勉強がよくできたことなど)などです。
・他人に母を悪く言って笑いを取ろうとする
喫茶店などで知り合いと会うと、「奥さんが怖いから」的な話を連発する。これは認知症になってから極端に増えた傾向です。母は当然ご立腹ですが、父はすぐにキレイに忘れます。
・母や私、妹を、自分の実の母や妹などと思い込むことがあります。時々母に向かって「僕の嫁さんは、もう死んだんか?」と聞くこともあります。そのくせ年に数回しか会わない私の夫(義理の息子)や孫の名前は、10年以上経った今でもほぼ間違えません。
・以前はそんなことしたりしなかったのに、最近では夕方や雨が降ってくると、軒下に干してあった洗濯物を取り込んだりするようになりました。取り込まなくて良い日で、まだ湿っているのに取り込んで、洗濯物を重ねたまま床に放置している時があるので、母に時折怒られています。
・以前から子供が大好きなのですが、子供を見ると、誰かれ構わず、周囲も気にせず、話しかけに行きます。頭をなでにいったりするので、親によっては不審者扱いをされることも。
・急に正義感がメラメラと燃えてくるのか、大声でおしゃべりする人などに、ものすごく怒って注意しに行くことがあります。吠える犬にも吠え返します(笑)!
・人の顔のこと、体型のことなどを、大声でからかう。これは一緒にいる時、本当に困る行動です。例えばだれかれ構わず「べっぴんさんやなぁ!」と話しかけに行く。明らかに太っている人に対し、わざわざみんなに聞こえるような声で「ガリガリやなぁ!」なんて言ったりするのです。当たり前ですが、昔はこんなことを言ったりはしませんでした。シンプルに離れて歩きたいです。
・ご飯の用意をしている時のつまみ食いがひどい。また普段から冷蔵庫に入れているものなんて、すぐ食べられてしまうので、2階に鍵のかかる部屋を作り、そこに冷蔵庫を購入し食べ物を保管しています。父は糖尿病があるので、食べ物を好き勝手に与えるわけにはいきません。なので父が開けられる冷蔵庫には、おとりとして、食べても大丈夫な食べ物(野菜類中心のもの)を準備しておいたりしています。
・知らぬ間に歯が抜けていて、入れ歯に。歯磨き自体の習慣がなくなってしまっていたのか、磨き残しによるものなのかはわかりませんが、とにかく知らぬ間に歯が何本か抜けてしまって、歯医者さんへ。意外な盲点でした。父が普段使っているテーブルを片付けると、なんと抜けた歯のコレクションが…。
・同居していた義理の父はもう死んでいるのに、いつまでも気を遣っている。ご飯になると、「おじいちゃんは?」と聞く父。母「もう死んだ」父「えっ!?いつや?」の繰り返し。呆れる母に対し、常に父の驚きは新鮮です( ´艸`)!
書き出すときりがありませんが、これから少しずつ色んな事件をご紹介していきたいと思っています。
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