川崎病の闘病記録 元気になってよかったね!
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川崎病という病気を知っていますか?
息子は2歳の頃、「川崎病」という病気にかかり、半月ほど日本赤十字病院に入院し、治療した経験があります。
この川崎病は、治療法こそ確立されているものの、未だに原因のわからない病気です。ウイルスや細菌などによる感染症も疑われますが、これだけ医療の進んだ現代でも、原因不明の病気なのです。
アジア人に多く、日本人は飛びぬけて罹患者が多いという特徴があります。
川崎病は全身の血管に炎症が起きる病気で、治療が遅れると、心臓の筋肉に栄養や酸素を送る冠動脈という血管にこぶができるなどの深刻な合併症を引き起こす可能性があります。
肝機能障害や胆嚢腫大の他、心筋炎、心膜炎、弁膜症、そして特に危険な冠動脈瘤は、冠動脈にこぶができ、血液の塊である血栓ができやすくなり、血栓が冠動脈瘤内につまって、心筋が酸欠状態になり壊死してしまう死に直結する恐ろしい病気です。
2012年4月1日(日)
この日、昼過ぎ頃から息子が37℃少し熱を出した。パパが久しぶりにお休みだったが、どこへも行けないので、お昼だけ子どもたちのリクエストにこたえて、近くのハンバーグステーキのお店に行きました。
ところがやはり微熱気味だったので、息子は食欲もあまりなく、夜には38℃以上の高熱が出始めました。明日から滋賀県の友人宅へ旅行を兼ねていく予定だったので、明日の朝一番で診てもらえるよう、近所の小児科の予約ボードに名前を書きに行きました。
4月2日(月)
今日からパパは出張。朝一番に息子を小児科へ連れて行くと、「溶連菌」との診断。溶連菌とは溶連菌連鎖球菌という細菌の感染症によって起こる病気で、高熱と喉が赤く腫れて痛みます。いちご舌と言われる、舌が真っ赤に腫れて赤いブツブツが出来たり、かゆみのある小さな発疹が全身に広がります。
溶連菌は上の娘も何度かかかったことがあり、抗生物質を10日間ほど飲まなければいけませんが、薬を飲むと熱もおさまり、いつも元気になるので、正直ホット安心しました。
薬ももらったし、帰宅して熱を計ると下がっていて元気だった事と、溶連菌は抗生物質を飲んで24時間すると、感染力はほぼなくなると聞いていたので、車でホテルまで移動するだけだしと、滋賀行きを決行しました。
順調に大津のインターまで着き、お昼を食べようと、サービスエリアで車を降りようとする頃、また息子の様子が急変しました。また熱が上がってきて泣き出したのです。
いつもなら大事をとってゆっくりさせるのに、春休みの小旅行ということもあって、浮かれていた自分を猛省しました。
でもここは滋賀。とにかく座薬をいれてやって、早く休ませてやるため、ホテルを目指しました。
ホテルに到着するなり、布団を敷いてもらい、氷枕を借りて、息子をすぐに寝かしました。
でも幸いなことに意外と元気になり、いつもの家とは違う珍しいホテルの部屋に喜んで、しばらくすると動き回って遊んでいて、熱も微熱程度に落ち着いてきました。
ただ息子は食べたり飲んだりすると、お腹が痛いというので、食事は控えていました。
深夜になりまた高熱が出てきたので、一晩中心配でした。
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4月3日(火)
息子の具合が悪いので、友人宅には手土産を手渡す程度で、30分あるかないかで失礼して、自宅に帰ることにしました。
帰り道、息子の体調や私の不安を表しているかのように、大雨が降っていてました。
バケツをひっくり返したような大雨の中、とにかく早く帰りたくて、休憩もせずに自宅を目指し、幸い子供達も後部座席で眠っている間に帰宅することができました。
帰宅早々、「溶連菌だけじゃないな」という私の勘から、夕方もう一度小児科を受診することに。
小児科でも、再度注意深く診てくれて、「紹介状を書きます。このまますぐに日赤(日本赤十字病院)へ向かってください。川崎病の疑いがあります。」とのこと。
この時、川崎病という名前は初めて聞いたのですが、小児科の先生のただならぬ感じに、血の気がサーッと引いたのを覚えています。
とにかく娘もいたので、パパに連絡をとり、すぐ日赤へ向かいました。
日赤では救急扱いのため、すごく待ち時間がありました。やっと診察してもらえた結果、そのまま息子は川崎病の疑いで経過観察するため入院することになりました。
4月4日(水)
昨夜は38~39℃を超える高熱が下がらず、いつもの熱では経験がないほど、息子がぐずって暴れ、私も動揺してしまい、何度もナースコールをしてしまいました。
それもそのはず、川崎病の疑いがある時は解熱剤は使わない方が良いらしく、何の処置もないままただベッドに横たわる息子を見ているだけしかできなかったからです。
川崎病では、川崎病であるということが確定して初めて治療が始まります。
川崎病特有の6つの症状のうち、5つ以上が見られないと、川崎病であると診断されません。
その症状が出るのを待つだけだったのです。
主治医の先生からそのことを聞かされて、川崎病のこともよく知らなかったので、「原因不明」ということもあり、涙があふれるし、不安でたまらない一日でした。
川崎病の6つの症状とは?
・熱が5日以上続く
・白目が赤くなる
・口唇・のど・舌が赤くなる
・首のリンパ節が腫れる
・全身に赤い発疹が現れる
・手のひら、足の裏が赤くなり、手足が硬く腫れ、後で指先の皮がむける
4月5日(木)
今朝もずっと息子はぐったりとしていて、目覚めると機嫌が悪く30~40分以上泣き続け、また泣きつかれて眠るの繰り返しです。
でもついに主治医の先生が、「川崎病の治療を開始します。」と言われて、いろいろと書類に記入をしました。
川崎病の治療には、アスピリンと免疫(ガンマ)グロブリンというお薬を使用するそうです。
川崎病の治療で使うお薬はどういうお薬?
川崎病の治療で息子が使用したお薬は、アスピリンと免疫(ガンマ)グロブリンです。
アスピリン
・血液の通りを良くして、血液を固まりにくくする
・痛みをやわらげたり、炎症を抑える
・熱を下げる
免疫(ガンマ)グロブリン
血液中に多く含まれる免疫グロブリン(抗体)というタンパク質を高純度に精製・濃縮したお薬です。
免疫グロブリンは、私たちの体内に備わっている感染防御システムの中心的役割を果たしています。
免疫グロブリンにより、全身の炎症を抑えて、冠動脈瘤やその他の合併症を予防することが出来ます。アスピリンと併用することで、冠動脈瘤が出来る割合を大幅に減らすことができるため、今では90%近くの人がこの治療を受けています。
免疫グロブリンによる治療は、輸血による人の血液を原料とするため、未知のウイルスなどの感染が起こる可能性はゼロではないといいますが、製造工程での安全性を高める技術は、日々向上しているということだったので、迷うことなく藁にも縋る気持ちで、書類に同意のサインをしました。
4月5日(木)続き
息子の場合は、川崎病特有の6つの症状のうち、はっきりと確認できるのは4つで、手のひらや足のうらの赤みや腫れ、それと口唇・舌の赤みは、素人目ではそれとわかるほどなかったのです.
ですが主治医の先生が、血液検査の結果でも血液の中にほんの微量にしか含まれていない(0.3mg/dl以下)、体内の炎症を示す数値であるCRPという数値が息子の場合6.36mg/dlと異常値であること、肝臓の機能の異常がわかるGOT値とGPT値が正常値よりもかなり高い異常値であることなどから、総合的に判断し、川崎病を確定し、治療を開始してくれました。
点滴により薬の投与が始まると、先ほどまでが嘘のように熱が下がりはじめ、お昼前には息子も機嫌が良くなり、ベッドの上で遊び始めました。
とにかく一安心です。元気になってくると、家にあるおもちゃを思い出して、「家に帰ろう」と言い出し、本当に困ったものです。
4月6日(金)
今日は、容体も安定してきたので、昼前に大部屋へ移りました。まだ微熱があるが、熱が完全に下がれば、病棟内にあるプレイルームにも行けるようになるとのこと。
炎症が完全におさまっていないからか、昼間に何度か鼻血を出したのが少し心配。
4月7日(土)
息子は、ほんの2日前が嘘のように、熱も下がり機嫌も良くなった。今日は午後から点滴も外してもらえ、気分も晴れたのか、プレイルームでよく遊び、お昼寝もよく眠った。
食事もよく食べるようになった。ほとんど好き嫌いの無い息子だが、日赤の食事の中には、あまり息子の好きなものはなく、特に小鉢にぎっしりグリーンピースが盛ってあるのが2回も出てきて、
さすがの息子も「もうこれはいらん!」と拒否。私がコンビニで買ってきた食事をキラリと狙うようになってきた。その目が恐ろしい。
(ラインスタンプ「ひよこ一家」より)
でもまぁ、それだけ元気になってきたということで、感謝しかない。
(しばらく同じような状態なので省略します。)
4月12日(木)
今日は、退院に向けて入院中何度か行われてきた心電図とエコーの検査があった。
息子はまだ2歳なので、いつも眠り薬を飲ませて検査を行ってきたが、熱も下がり、病院にも慣れてきて、機嫌もいいので、今回は眠り薬なしで挑戦。
おとなしく心電図とエコーの検査を受けてくれて、ほっとする。また検査結果も良好で、瘤などの異常は見られなかったということで、さらにほっと安心した。
4月13日(金)
今日は血液検査をする。初めて日赤に来たときは、泣き叫んで診察室から私は退室するように言われたくらいだったが、今日の採決時は、泣かずにがんばれた。えらい!
頑張った血液検査の結果も、CRP値0.17、GOT・GPT値も正常値に戻り、おかげさまでもう少しで退院できるとのお話でした。
4月14日(土)
大部屋は患者さんの入れ替わりが激しく、ころころと環境が変わる。今日はたった2歳の息子がこの4人部屋の最年長になった。
赤ちゃんはよく泣くので、なかなかお昼寝がしにくいようで、息子も少々機嫌が悪い。
今日は土曜日なので、パパが娘を連れてきてくれていたが、子供は病室のある方には感染防止のために入室できないので、ガラス戸越しの面会しかできず、息子もお姉ちゃんと遊べないことにご立腹。
さらに娘を気遣って、ガラス戸の外に見送りに出ると、息子は私も帰ってしまうと思って泣いてしまう。娘にも気を遣うし、お母さんも泣きそう。
4月16日(月)
今日は再度、心電図とエコーの検査を行う。結果明日の退院が決まる。
私の方がうれしくて、すぐ皆に連絡して、上機嫌だったが、息子はイマイチよくわからないようで、病院でできたお友達と「明日も遊ぼね」とか言っている。
同時期に同じ川崎病の子供さんが3人いたが、一人は少し状態が良くないらしく、また一人部屋へ戻り、プレイルームには姿を見せなくなっていた。
川崎病の後遺症
川崎病には2~3%の割合で、再発があります。またおよそ3%の割合で、心臓の冠動脈に後遺症が残る場合があります。
冠動脈に後遺症が残ると、心筋梗塞など命に係わる病気が問題となりますので、運動の制限など、子供にとっては、非常にかわいそうな日常生活の制限が必要になります。
息子のように、退院前の検査で異常が認められなくても、数年後に冠動脈が変化して、後遺症がわかるケースもあります。そのため一度川崎病にかかると、あとあと1年に1度、向こう5年間は定期健診で心電図とエコーの検査を受けなければなりません。
心筋梗塞は、自覚なく前ぶれなく、命の危険が訪れる病気です。
本当に稀なケースですが、5年後の検査も終了して、定期健診を受けなくてよくなった患者の中でも、30歳を超えてから、川崎病の後遺症とみられる心筋梗塞を発症するケースがあるそうです。
そのため川崎病を罹患したら、今後の学校提出の書類や健康診断の問診票などには、かならず既往症のところに「川崎病」と記入することになるのです。またきちんと書いておくことが、万が一の時に命を救うことにつながるということです。
4月17日(火)
天気は快晴!今日はパパが迎えに来てくれて、無事退院することが出来ました。
息子は、本当に病院から出ていいのかわからない様子で、恐る恐る小児科病棟のガラス戸を出ました。
家にはおばあちゃんも息子の大好きなカレーを作って待っていてくれ、涙で出迎えてくれました。
あっという間に過ぎたような、とてつもなく長かったような17日間でしたが、息子がこうして元気に退院できたことに感謝しかありません。
2017年3月31日(金)
今日は、息子の5年目の川崎病の検診でした。あれからもう5年、毎年異常はないか心配して通いましたが、ようやく検診も無事終了することができました。
やれやれです。
これからも健康のありがたさをかみしめて
息子の川崎病の検診も昨年で終了し、今年は日赤へ行くこともなく、元気に過ごせています。
ですが今年も学校に提出する書類には、きちんと川崎病の既往を書いておきました。
大変心配したこの貴重な経験を、これからも忘れることなく、健康であることを第一の目標にがんばって
いきたいと思います。
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