家事の負担を軽減したい!名も無き家事を考える!
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「名も無き家事」について
今日、ニュースで「名も無き家事」という記事を拝見しました。
皆さんはご覧になられましたか?
「名も無き家事」と言うのは、共働き家庭が増えて、家事を手伝われるご主人さまが増えたと言われるかたわら、実は奥様の家事負担は減っていない、もしくは減ったと感じられていないというもの。
「名も無き家事」ってどんな家事?
例えば「洗濯」という一つの家事について言えば、洗濯機を回して、洗濯を干して下さるご主人さまは、自分はきっちり家事参加していると感じています。
ところが奥様は洗濯機に衣類が入る前の段階で、衣類の選別、部分洗い、洗剤の在庫管理を行っています。そして夕方、干してもらった洗濯物を取り入れ、たたみ、物によってはアイロンがけをして、タンスにしまうところまでを一つの洗濯ととらえています。
そもそも「洗濯」という家事の認識範囲が違うんですよね。
そのためご主人に洗濯機を回してもらい、干してもらうためには、ご主人のタイミングに合わせて事前に下準備を行わなければなりません。本音では自分のペースで行う方が段取りが良いと感じていても、洗濯を干してもらっている間にも、しなくてはならない家事があるため、ご主人が気分よく行ってくれる家事ならばと、不満をこらえつつお願いしているというものです。
こういう目に見えてわかる「洗濯」と名の付く家事に対し、その下準備やフォローにあたるものを「名も無き家事」というそうです。この「名も無き家事」というワードは、働く主婦からかなりの反響があったそうです。
日本では主婦が家事を担うのが一般的
「ご主人が洗濯機を回して、干してくれるだけいいじゃない!文句をいうなんて贅沢よ!」という声も聞こえてきそうですが、そのように働きながらも全ての家事を主婦が負担している家庭も、日本では圧倒的に多いのが現状なんだそうです。
外でお勤めをしていない私自身にも経験があります。主人や子供にお願いできたらなと思う家事があっても、お願いするためには、いくつか自分が事前にしておかなければならないことがあったり、毎回こちらからお願いしないかぎり、自発的にはしてもらえなかったり。
そもそもお願いしないとしてもらえない=毎回頭を下げてしてもらい、気分を害さないように感謝を伝えなければならない(私は毎回当たり前にしているのに)など、気分が下がり気味の日は、何だかやりきれない気持ちがしたりするものですよね。
家事共有の必要性について思うこと
私が時々思うのは、ただ負担を感じるから、主人に家事負担をお願いしたいということではなく、自分たちもだんだん年をとり、子供もそこそこの年齢になってきた今、家事を共有しておかなくて大丈夫かなと思う時があるんですよね。
もし病気や怪我をして入院なんてことがあれば、2~3日なら大丈夫かもしれませんが、それ以上になると、家の中ボロボロなのでは…?!と心配になります。
だってティッシュペーパーやトイレットペーパーが空になった時、今なら置いてある場所から取ってきてくれたら、「ありがとう!」で済んでいますが、実はその在庫を私が常に補充しているからこそ成り立っているんですよね。
会社なら、社員やそこで働く人たちによって共有される在庫管理表があったり、専任担当がいて、その仕事はこの人の担当だから、もしその人が辞めたり休んだりしたときは、別の人がその人の仕事を引き継ぐという流れがあるので、関係のない人は困りません。
でも家庭となると、お母さんの仕事って、どこまで家族が把握してくれているんだか不安になりませんか?「そんなの、そうなったら何とかなるよ!」って笑われそうですね。
主婦はなぜ家事を当たり前に負担できているのか?
しかし日本の主婦の皆さんは、どうして自分自身仕事を抱えながらも、一人で家事を負担してがんばれるんでしょうか?それは普段、家族が自分の仕事や学業に専念できるようにという思いでサポートしているからではないでしょうか。
私も同じ思いです。それにもかかわらず、もし私がこけてしまった時は、家族みんなが自分のすべきことが手に回らないほどのわちゃわちゃな状況になってしまうのではないかと、「名も無き家事」のニュースを見て不安になりました。
そんなことになると本末転倒なので、元気な時に少しずつでも何か工夫をして、家事共有のしくみづくりを考えていくのも悪くないなぁ~なんて考えさせられました。
皆さんはどう思われますか?今のままの生活がず~っと続けられる自信がありますか?
どんな工夫ができる?
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