姫路城に行くなら、その前に知っておきたい言い伝えがある!「姥ヶ石の伝説」
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世界遺産姫路城
私の子どもの頃、国宝だった姫路城は、平成15年に奈良の法隆寺と共に日本で初めて世界遺産に登録されたすばらしいお城です。
まるで白鷺(しらさぎ)が羽根を広げたような優雅な姿から、別名「白鷺城」とも呼ばれています。今日見られる姿は、今から400年以上も昔、関ヶ原の戦い以降に城主となった池田輝政によって築かれました。
時はさらにさかのぼり…
今のような壮大な姿になる前、黒田官兵衛が城主のころの姫路城は、単なる囲いのあるだけの城でした。しかしその城は、中国攻めに向かうため西へと兵を進める羽柴秀吉(豊臣秀吉)に寄進されます。
その後秀吉は、播磨地域より西の諸国を制圧するための拠点とするため、姫路城を立派な石垣のある城へと生まれ変わらせる計画を立てました。
この計画が、現在の姫路城へとつながっていったのです。
石奉行ピンチ!この辺りには石があらへん!
秀吉の命令で、姫路城を築城することになりますが、この辺りには立派な石垣を作ろうにも、石垣用の岩石が集まりません。石奉行は大ピンチに陥りました。
必死に街中へもお知らせをし、石材の募集を呼びかけます。
しかし思うように石が集まらず、このままでは秀吉の逆鱗に触れてしまうと、関係者は皆、気分はお先真っ暗という状態でいたそうです。
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颯爽と救いの女神(婆さま)登場!
そんなある日、城下で細々と焼き餅を売って生計を立てていた一人の婆さまが、街中に貼りだされていた石材募集のお知らせを目にしました。
戦国時代を生き抜いてきた婆さま。いざという時、自分たちを守ってくれるお城が、石垣が築けないために完成しないというようなことがあっては大変だと、あわてて店へ戻ります。
そして婆さまが差し出したのはなんと、商売道具の大切な石臼でした。
「商売道具の大切な石臼ではございますが、お役に立てるのでしたらどうぞお納めください。」
この申し出の報告を聞いた秀吉は大いに感激し、心より婆さまをねぎらい、この石臼を城北西の石垣に用いました。
この婆さまの話は、矢のように城下を駆け巡り、これ以降、人々は進んで石集めに協力し、遅れていた石集めは順調に進み、やがて立派な石垣が完成したということです。
この婆さまの石臼は、現在でも見ることができますので、姫路城へ行かれる際は、どうぞお見逃しの無いようにご覧くださいね!
はてさて真偽はいかに…
この「姥ヶ石の伝説」は、本当にあった話なのかどうなのか定かではありません。現在も語り継がれてはいますが、石材集めに困った秀吉の自作自演ではないかという説もあります。「人たらし」と言われる秀吉ですから、もしかしたら…?頭を使って人々を動かした可能性もあるのかも知れませんね。
実際細々と焼き餅を売って生計を立てていた婆さまから、商売道具の石臼を取り上げたら、婆さまはこの後、どうやって生きていったんだろうとも思います。
しかしそこは年をとっても女性!ちゃっかり予備の石臼を持っていたのでは?という説もあるそうです。
そんなこんなをいろいろ考えながら、石垣を見上げてみるのも、きっと面白いですよ。
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