姫路城に行くなら、その前に知っておきたい言い伝えがある!「三左衛門堀の主の伝説」
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三左衛門堀の構想
姫路城を築城した池田輝政は、数々の偉業を成し遂げています。現在の姿に続く姫路城の築城はもちろんのこと、高砂港の開港、市川や加古川の付け替え、塩や藍などの特産品の育成…数え上げるときりがありません。
その中でも三左衛門堀と言われる、池田輝政の幼名からその名前を付けられた姫路城の外堀には、実はお城と海までの約4キロを結ぶという壮大な構想があったといいます。
残念ながら海との水位差の問題や、輝政本人の死によって計画は放棄されることになりました。
今日はそんな三左衛門堀に伝わる主(ぬし)についての言い伝えをご紹介します。
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三左衛門堀の主(ぬし)の伝説
昔、姫路城下町の中心地に塩蔵や塩屋が多くあった元塩町というところがありました。
その元塩町の裏借家に住む、太郎兵衛という者の妻が、三左衛門堀にて洗濯をしていた時のこと。
先にすすぎ終わった洗濯物を、前にあった大きな石の上に置いて、次のものをすすいでいると、向こうから大きな波がたち、どんどんとこちらに向かってきます。
妻は初め、カワウソなどが堀で魚を追いかけているのかと思っていたのですが、波はどんどん妻の方へ近づき、よくよく見てみると大きな口を開けた何かが、自分を目がけて泳いできているではありませんか。
このままではひと呑みにされてしまうと、恐怖を感じた妻は、洗濯物などはそのままに、その場を逃げ出しました。振り返り見てみると、堀の中の何かは、石の上に置いていた白い浴衣をくわえて、向こうへ帰っていくところでした。
妻は走って家に戻り、太郎兵衛にさきほどの出来事を話しました。そこで太郎兵衛が三左衛門堀へ行き、置きっぱなしになっていた洗濯物や桶・柄杓などを回収し帰りました。
この出来事はその後噂となり、他にも目撃者はおり、ある人が言うには、「太郎兵衛の妻が見たのは、三左衛門堀の主と言われる約4メートルもある大鯰(おおなまず)だ。私も去年、お堀の辺りで涼みに行った時に見たことがある。」などと言う話が交わされたといいます。そのため「子供などをお掘の近くへやってはいけない」と言い伝えられていたそうです。
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