姫路城に行くなら、その前に知っておきたい言い伝えがある!「おさかべ姫の伝説」
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刑部神社(おさかべじんじゃ)
姫路城のまわりには、刑部神社というものが多くあります。
姫路城天守閣の最上階、ゆかた祭りで有名な立町、播磨国総社、野里の大歳神社境内、そして姫路城北東隅には「刑部神社遺趾」という石碑が立っています。
この刑部神社は「おさかべ姫」という神様についての、いくつかの言い伝えで知られています。
今日は姫路城天守閣に登るなら、絶対知っておきたい「おさかべ姫の伝説」についてご紹介していきます。
池田輝政とおさかべ姫の伝説
関ヶ原の戦い以降、姫路城の城主となった池田輝政は、秀吉のころのお城から、今の姿に近い姫路城を築城しました。その天守閣にすみついたおさかべ姫は、城内で様々な怪現象をおこし、家来たちを怖がらせていました。
その上城主である池田輝政あてに、天狗からの手紙が届くという怪事件もおきました。(天狗からの手紙は現在でも保存されているそうですよ。)
そしていよいよ輝政本人も、原因不明の病に襲われたため、天狗の手紙に要求のあった、姫路城内の鬼門に、八天堂というお堂と姫山の地主神である刑部明神を祀る祠を建てました。そうすると、不思議なことに病がけろりと治りました。
これをきっかけに、輝政の夢におさかべ姫が現れます。夢の中で輝政はおさかべ姫の要求で、大天守に刑部神社を移すという約束を交わします。これにより現在のように天守閣に刑部神社ができたということです。
この後、城内の者が怖がるので、輝政はおさかべ姫に次のような提案を行います。1年に1度だけ城主と面談をし、要求があるなら聞こうということになり、怪奇現象は減っていったそうです。
おさかべ姫の伝説①
江戸時代の人々は、姫路城の天守閣には、おさかべ姫という妖怪が棲むと信じていました。
時は子の刻を過ぎるころ、姫路城主だけが年に1度だけおさかべ姫という妖怪と会い、面談をしているという話が、家来の中で話題となりました。
その時森田図書という男が、一度自分が確認して来てみせようと言い出しました。図書が何とも言えない空気の漂う天守に入り、登っていくと、「何者ぞ!」という声とともに十二単に身を包み、大柄で色白、気の強そうなつり目で高い鼻、鮮やかな紅の口紅という美女が声をかけてきました。
図書が「ははー!お初にお目通りがかないました。私は森田図書と申しまする。」とあいさつを述べると、おさかべ姫は図書のことを気に入ったのか、「よう来た。さぞかし勇気がいったであろう。帰って皆に話すため、この品を持って帰るがよい。」と、図書に兜のシコロ(あごを覆うための道具)を授けました。
図書はこの体験を城主に呼ばれ、披露します。城主は図書が持ち帰ったシコロを見ると、絶句しました。それは家宝で、先祖代々の兜につけるシコロでした。さっそく蔵より取り出された兜にはシコロが引きちぎられた跡があり、城主は図書の言ったことを信じるとともに、あらためておさかべ姫のすさまじい怪力、恐ろしさを再認識したということです。
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おさかべ姫の伝説②
ある夜のこと、姫路城の城主が夜な夜な天守閣に現れる怪火の正体を探るよう、家来に申し付けました。家来のうち勇敢な若者が、天守最上階へと上がっていくと、火が灯っている。
よく見るとそこには十二単の美女がたたずんでおり、若者は城主から預かった提灯に火を灯してもらい、櫛を預かって戻ってきた。
美女に灯してもらった提灯の火は、若者にしか消すことはできず、預かってきた櫛は、具足櫃(鎧や甲冑を入れておくふたつきの箱)に入れてあったはずのもの。不思議に思った城主が天守に登ると、十二単の美女ではなく、馴染みの座頭が現れ、琴の爪箱を差し出した。
城主がその箱に触れると、手足が爪箱にくっつき、自由が効かなくなりました。
その途端、先ほどまでの座頭は、鬼人の姿へ変わり、鬼人は「我こそはこの城の主」と言い、城主は仕方なく降参し、命拾いをしたといいます。
宮本武蔵の妖怪退治の伝説
剣豪として名高い「宮本武蔵」も、おさかべ姫に出会った一人と伝えられています。
宮本武蔵の父は新免無二斉といい、天正十八年に佐々木巌流という人物に暗殺されています。その父のかたき討ちのため、当時佐々木巌流が仕えていた木下家の姫路城下へ、宮本武蔵も滝本又三郎という偽名を使って姫路城に潜入していました。
姫路城にての武蔵の役は、天守の番人。その頃、お城の天守に妖怪が出るという噂が広がっていました。番人たちは皆怖がって天守の夜番を嫌がりましたが、武蔵だけは平気な顔で役にあたっておりましたので、滝本又三郎を有名な宮本武蔵と見破っていた家老に妖怪退治を命じられ、天守に昇ることになりました。
武蔵は天守に昇りましたが、いっこうに妖怪が現れる気配はなく、さすがの武蔵も疲れからかついウトウトしてしまっておりました。
すると夢の中に、十二単の美女が現れ、「私は姫路城の守護神刑部明神である。近頃この城に妖怪がすみつき悪さをし、困っていたのですが、そなたがきてくれたおかげで妖怪は退散したようじゃ。ご苦労であった。褒美にこの宝剣を授けよう。」と告げたところで目が覚めました。
武蔵の側には、白木の箱に納められた「郷義弘(ごうのよしひろ)」という業物の刀が置いてあったのです。
ところがこの刀は、以前に城内から盗まれたものであったため、武蔵に疑いがかかり、家老にお預けの身になります。
そこで武蔵は佐々木巌流に御前試合を申し出て対決するのですが、卑怯者の巌流は、宝山流の振り杖を使って武蔵の眉間を傷つけ勝利し、武蔵は姫路をあとにします。
この時佐々木巌流に敗れた武蔵ですが、後に巌流島の決闘にて復讐をとげるというのは、有名なお話ですね。
おさかべ姫の正体についてのおもしろい伝説
「播磨鑑」という書物の中に、姫路城天守に棲むという「おさかべ姫」が、廣峯神社内の境内社にある「地養社」という小社の社人(※社に仕える人)であるという記述が残っているといいます。
この地養社の社人の名前は「小林小刑部職右」と言いいました。小刑部(おさかべ)は天文年中に地養社の修復工事を行うため、各地にその費用を集めて回っていました。
小刑部は、姫山の上にあった称名寺という寺で、姫路城主小寺氏と双六をし、地養社修復工事の寄付をお願いするのですが、この時行った双六の勝負を巡り口論になりました。ついには斬りあいとなり、小刑部は無念の死をとげます。
小刑部の亡骸は称名寺に葬られたのですが、無念の思いからか、小刑部の魂は白狐となり、姫路城下で人々を悩ませるようになりました。
江戸時代となり姫山に姫路城を築城した池田輝政は、この小刑部の魂を鎮めるため、城内鬼門に刑部明神を祀った刑部神社とともに「八天堂」を建立し、地養社の社人であった小刑部を祀ったそうです。
しかし小刑部の魂はその後も、女性の姿で人々の前に現れたということです。
おさかべ姫の伝説がこれほど多いのも、当時の人々の関心の高さをあらわしているのかも知れませんね。
姫路城の天守閣に登られる時は、ぜひおさかべ姫の伝説を思い出しながら、刑部神社にて手をあわせてみてはいかがでしょうか。
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