「今日」とか「昨日」って、漢字ノートの読み仮名どうやって書くの?
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お母さん、漢字ノートに読み仮名書くの、わからん!
今日は小学生の息子の質問をもとに、調べてみることにしました。
まず、息子が私に言ってきたのは、「お母さん、漢字ノートの宿題やってるんやけど、読み仮名どうやって書いたらいいか、わからん!!」というものでした。
私は、普通にただ読み仮名がわからないのだろうと思って、息子のノートをのぞいたのですが、何のこともない「今日」ですとか、「昨日」という漢字でした。さて皆さんは、この「今日」と「一昨日」という熟語、どう読まれましたか?
「こんにち?」「さくじつ?」と読まれますか?それはそれでもちろん正解です。でも息子の宿題に出されていたのは、「きょう」と「きのう」という読みでした。
この「きょう」と「きのう」なら、漢字ノートの読み仮名を書くマスの中に、どのように書き分けられるでしょうか?正解は、書き分けられないんです。
熟語の中には、一語づつ読み仮名を分けられないものが存在する!
熟語の中には、2字以上からなる漢字の熟語(熟字)に、1つの訓読みをつけたもの、熟字訓と言われるものがあります。簡単に言えば、熟語なんだけれども、漢字1字づつは読まず、まとめて訓読みされる熟語です。
例えば息子がわからないと言っていた「今日」。この熟語は「今」と「日」から成り立っています。「今」という漢字は、「き」とか「きょ」とは読みませんし、「日」という漢字も「う」なんて読みませんね。すなわち「今日」は、2つの漢字で成り立っていますが、読み仮名は訓読みで「きょう」1つになります。
日本の漢字というのは中国から伝わり、日本語でその漢字を翻訳することで、訓読みが出来ました。通常の漢字に音読みと訓読みがあるのは、そういう歴史があるのです。この熟字訓というのも漢字1語ではありませんが、同様の流れで、2字以上の漢字から成る熟語に、意味を翻訳する一つの訓読みがつけられたものになります。
ちなみに熟字訓ではなく、1語1語の漢字の読みで、読み仮名を付けると、先に書いたように「今日」は「こんにち」になるのですが、読みが違うだけで、意味が違ってくる場合もあります。
例えば、「きょう」(熟字訓)なら、本日1日を指しますが、「こんにち」と読めば、「こんにちの私があるのは、あなたのおかげです。」などと使われるように、最近を指してはいるものの、不特定の長い期間を指します。
外来語だって熟字訓になっている?!
熟字訓になっているものは、なにも中国から伝わって、日本語として使われているものだけではありません。
例えばポルトガルから伝わった「煙草(たばこ)」。これは熟字訓で表されています。
ただし、「葡萄牙(ポルトガル)」や「亜米利加(あめりか)」などのように、漢字の意味とは関係なく、日本語に音読みや訓読みを当てた熟語は、熟字訓とは全く違うものです。日本語でもありますよね、「滅茶苦茶(めちゃくちゃ)」なんていう熟語、時々見かけませんか?これらは熟字訓とは関係なく当て字と呼ばれるものです。
ただし当て字の中にも、ある程度、漢字の本来の意味をふまえているものも存在します。例えば「女」を「ひと」と読んだり、「運命」を「さだめ」と呼ぶようなものです。これらのような漢字は、熟字訓とよく似ていますので、もしかすると時代とともにいずれ熟字訓となっていく可能性もあるのではないでしょうか。
熟字訓のようで熟字訓ではない場合もある?!
2字以上の漢字からなる熟語に、1つの訓読みをあてた熟字訓についてお話してきましたが、中には熟字訓のようで熟字訓ではないものも存在します。
例えば、「玄人(くろうと)」や「素人(しろうと)」という熟語を見てみましょう。「玄」や「素」という漢字はそれぞれ「くろ」と「しろ」という読みがもともとあります。一方で「人」は、「うと」とは読まず、「ひと」と読むのが普通です。なので、「玄人」は「くろうと」と読む熟字訓である…ような気がするのですが、実はそうではなく、「人」を「ひと」と読んで、ウ音便(語が連接する時に発音しやすい別の音に変わる現象)が発生し、「くろ」+「ひと」を「くろうと」と読まれるのです。
このような紛らわしい熟字訓については、各辞書とも「難読漢字」等の表記があったりしますので、通常の熟語と熟字訓の違いを調べる必要があれば、一度見て見られるといいかも知れませんね。
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