女人禁制は差別?男女のありかたを考えよう!
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最近騒がしい相撲協会
4月4日に京都府舞鶴市で行われていた、大相撲の春巡業のあいさつに立たれた、多々見良三市長が倒れられました。救命のため土俵に上がった数名の女性について、行司が「女性は土俵から降りてください」とアナウンスしたことから、ワイドショー番組は今朝も女人禁制の話題でもちきりです。
女人禁制の伝統、それって本当?
日本には古来より「女人禁制の伝統がある」と言われています。それって本当でしょうか?
神道でいう最高神は、みんなが知ってる天照大神です。
学校の歴史の中でも、戦争ばかりで乱れていた古代において、ぴたりと争いを収め、国をまとめた王として超有名な人は、卑弥呼です。
その他にも推古天皇・皇極天皇・斉明天皇・持統天皇・元明天皇・元正天皇・孝謙天皇・称徳天皇・明正天皇・後桜町天皇というように、女性の天皇がたくさん存在していました。
女人禁制というのは、女性が不浄な存在であるから、神事やその他の大切な事柄に際し、立ち入ってはいけないとする「伝統」です。でも大昔から、たくさんの女性が社会において活躍してきたのです。
どうして女人禁制になったの?
女人禁制になった理由にはいろいろありますし、女人禁制の行事もたくさんあります。
ニュースになっている相撲もそうですし、先日まで行われていた甲子園での野球もそうですね。
それ以外でも生理の時に神社の鳥居をくぐってはいけないとか、日本一の富士山も、かつては女人禁制でした。
私の地域で行われているお祭りでも、屋台蔵への立ち入りをはじめ、女人禁制が見受けられます。
女人禁制についての議論で、一番多く耳にするのは「男尊女卑」という言葉です。
これは日本の社会が武家社会になり、家父長制度が一般的になったことが一つの要因です。
現代社会においても、「良妻賢母」という言葉にあるような、女性のあるべき姿とされるようなイメージを男性も女性も、いまだにお腹の底に持っている人は多いのではないでしょうか。
それは地域によって、また母によって、父によって、それぞれの価値観の中にある女性像を基準に、子供に対するしつけが行われるわけですから、ある意味それぞれの価値観であり、何が正解とも言い難いものです。
女人禁制にまつわる色んな説
【男僧の修行の邪魔になる】
女性がいると、本能的に集中できなくなるため、「こっちには来ないでね!」という発想から、女人禁制になったとする説。
なんだか、どこの家でもある、「お兄ちゃん勉強してるから、邪魔したらダメよ!」っていう下の兄弟への母の言葉のようですね。
この説ひどいことに、男性の集中力をそいでしまう女性という存在は、穢れているという思想へとつながり、山をおりた男僧が広めていったんだとか!けしからんやつですね!
【女神と人間の女性との間に一線を画するため】
古来より、自然界にはいろんな神様がいて、特に山の神様は女神という思想があり、当時人間の女性の地位も高く、一般的に人間の女性は里の神という位置づけだったといいます。
なぜそのように区別したかというと、このような逸話があります。
里にある若い夫婦が住んでいました。男は毎朝身なりを正して、山へ仕事に出かけていきます。不思議に思った女は、仕事に出かけた男のあとをつけます。
そこで見たのは、知らない女性が男を後ろから支えている姿。嫉妬した女が声をかけると、知らない女性はスッと消え、男は谷底へ落ちてしまったというお話です。
このことから里の神(人間の女性)が山の神の聖域に入ると、大切な人を失うので、女人禁制になったという説です。
【女神の嫉妬説】
相撲の土俵への女人禁制について、有力視されているのはこちらの説です。
昔五穀豊穣を祈る対象は女神さまでした。女神様に喜んでもらうため、筋骨隆々な男同士の相撲をとりました。土俵に女性が上がると、女神さまが嫉妬してはいけないので、女人禁制になったという説です。
相撲の女人禁制はとても新しい伝統
相撲の女人禁制が始まったのは、なんと明治時代のこと。それまでは混合相撲も行われていたということです。
なんか都合よく女性が翻弄されている気がするのは
、私だけでしょうか?
人間は認めてもらいたいもの
人間はどんな人でも、他から認めてもらいたいという欲求を持っています。だからこそがんばれるのではないでしょうか。
男尊女卑も、そんな人間の本能から、とにかく自分より下を作って優越感に浸りたいという気持ちがエスカレートした結果なのではないでしょうか。
武家社会への変化により男社会になれば、政治のことや戦いに長けた女性がいるより、女性は男性の仕事を知らない方が、男性はえらそうにいえますもんね。
逆にもっと昔、古代の社会で女性が活躍していたころは、同じように男性を馬鹿にする女性がいたような気がしてなりません。実際現在でも沖縄には、男子禁制の霊場だってあります。
結局、自分が周りから頼られる存在でありたい。馬鹿にされるよりは、馬鹿にできる存在でありたかったからできた○○禁制なのではないでしょうか。たまたま歴史的に見て女人禁制が今に多く残っているため、今回のように問題になったように思えてなりません。
テレビを見ていて思うこと
今回の相撲の報道では、観客の中から「女性を土俵に上げていいのか?」という声があがり、行司が動揺してしまったと言いますが、普通に判断して救命が大切で、第一優先だということは、どのコメンテイターの方も言われています。私もそう思います。
でもこういった差別は、女人禁制だけの問題ではなく、どんな社会においても正しい判断を曇らせてしまうことがあるものなのでしょう。
私たちは、子どものころから道徳の時間などに、差別について学びます。でも自分の暮らす地域に目を移すと、昔からの差別があったり、教室をみるといじめがあったりして、道徳は建前で理解しているように思えることもしばしばです。
でも私は女性として、どうせ心に持つのなら、他を蔑んでの優越感ではなく、かつて女性は女神だったという誇りを持っていたいと感じました。自分の考えをしっかり持って、正しい判断ができる。間違った時はきちんと謝り、行動を修正できる人間になりたいと思いました。
女性と男性は間違いなく違います。そして得意不得意もまた性別だけでは語れません。昔は「男子厨房に入るべからず」なんて言いましたが、速水もこみちさんや谷原章介さんを筆頭に、男性でもお料理を得意とされる方が堂々とテレビで腕前を披露されるようになりました。女性でもトラックやバス、タクシーの運転士さんをされている方が増えましたね。
私自身の生活に目を向けてみれば、本当にお互いの良い所や得意な事を尊重し、仕事でも子育てでも協力し合えたら、きっと素敵な夫婦になれるのかなと、女人禁制の話題から、これからの自分の生き方を考えてみた今日の私でした。
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